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15世紀、可動式の活字で本を印刷するようになるまでに、ちょうどそれくらいの時間がかかった。
電話は1870年代に発明されたが、社会に変化をもたらしたのは二十世紀に入ってからだった。 映画は1890年代に生まれたが、重要な産業に成長したのは1920年代になってからだった。

19100年代半ばに発明されたテレビが私たちをソファに縛りつけるようになったのは、1950年代中頃のことだった。 マイクロプロセッサは、1971年に発明された。
アルテアのホピーコンピュータが発表されたのは、1975年のことだった。 パーソナルコンピュータは、この間のどこかで誕生したと考えていいだろう。
どちらの日付から数えたにしても、現在の私たちはパーソナルコンピュータが多くの人々にとって日常生活の一部になる過程の半ばにいるのである。 パーソナルコンピュータをめぐって何を大騒ぎしているのか理解できない人々も、これでホッとするはずだ。
ご心配なく。 あと数年もすれば、そんなあなたにだって理解できるようになるはずである。
ただし、その頃にはパーソナルコンピュータとは呼ばれていいない。 これが情報技術のたどる道である。
この技術を使って何をやればいいのかが決まるまでには、まだしばらく時間がかかりそうだ。 ラジオは当初、電話に代わる無線通信の道具として考えられたものだった。
双方向通信ができるラジオだが、現在、どれだけの人々が無線機を持っているだろう。 現実には、ラジオは放送メディアとして普及した。
強力な送信機から何十万台、何百万台もの安価な受信機に向けて、娯楽として同一のメッセージを発信しているのだ。 テレビも同じことで、当初は双方向の画像通信メディアとして発想されたものだった。

蓄音機はもともと再生だけでなく録音もでき、録音したものを手紙に代わる郵送手段に使おうと考えられていた。 磁気テープカセットは、フィリップス社が口述筆記蝿憐械に使おうと発明したものだ。
だが、私たちはS社のウォークマンで音楽を聴くために使っている。 電話も当初の目的とは方向がずれてしまったものの一つだ。
アレキサンダー・グラハム・ベルは初め、彼の発明が離れた場所にいる人々に音楽を送るのに使われるものと考えていたのだ。 こうしたテクノロジーはすべて、もともと想定していなかった方法で利用されたときに最も大きな成功を収めたのである。
パーソナルコンピュータの場合も、同じことが起こるだろう。 いまから15年先、マイクロプロセッサやメモリを内部に納めたなんらか段偉械なしでは、私たちの生活は成り立たなくなっているだろう。
その頃にはパーソナルコンピュータと呼んでいないかもしれないが、それがこの機械の未来の姿であることは間違いない。 こうした連中が求めていたのは冒険であり、ビジネスではなかった。
彼らは、1920年代にアメリカ中を飛びまわって航空ショーを開いたり、料金を取って客を飛行機に乗せたりした旅回りパイ新しいアイデアは、理解されるまでに長い時間がかかる。 この大半の時間は、そのアイデアを役立つものへと発展させるために費やされるのだ。
この事実一つとってみても、時代の先を行く技術革新が時間のたっぷりあるアマチュアの手に委ねられた理由がよくわかる。 金儲けなど頭にない人間だけが、金にもならない技術を発展させることができるのだ。
こうして、パーソナルコンピュータはホビイストによって発明された。 そして、マイクロプロセッサの市場を探し求めていた半導体メーカー、会社やメインフレームに不満を抱き、この世界から逃れて愛するマシンともっと密接な関係を持ちたいと願っていたメインフレーム・プログラマ、長い間ビジネスの世界と闘った末に、この世界に入り込む道を探していた新しい階層であるカウンターカルチャー企業家、こうした人々にパーソナルコンピュータは支持されたのだった。
マイクロコンピュータのパイオニアたちがマシンやプログラムを創り出した動機は、まず第一に自分で使うため、あるいはそれを仲間に自慢するためだった。 パーソナルコンピュータ業界などというものはまだ存在しなかったから、プログラミングや設計で大金持ちになろうなどとは考えもしなかったのだ。
MSのB・Gだけが唯一の例外で、金儲けが一般的になったのはもっとあとのことかつたのである。 ロットのコンピュータ版だ。

バーンストーマーと同じように、マイクロコンピュータのパイオニアたちは最終的に自分が好きなように生きる道を発見した。 バーンストーマーと熱狂的なマイクロコンピュータマニアはどちらも競争好きで、常に自分にふさわしいものを探し求めていた。
彼らは独立と完全なコントロールを望み、それぞれのマシンの操作方法を習得することによってそれを発見したのである。 バーンストーミングは、第一次世界大戦後に余った飛行機が安価で放出されたことから可能になった。
マイクロコンピュータは、半導体メモリとマイクロプロセッサの発明によって可能になった。 バーンストーミングもマイクロコンピュータも、先行する技術なしでは存在し得なかったのだ。
バーンストーマーは、飛行技術をマスターし余剰航空機の供給を得るために戦争を必要とした。 一方、マイクロコンピュータは、コンピュータの専門家とプログラム言語を手に入れるためにメインフレームが必要だったのである。
蕊明期のパイロットや自動車ドライバー‐同様、最初のパーソナルコンピュータ・ドライバーは、原始的なコンピュータ環境に潜む危険を楽しんでいた。 初期の自動車では、単にある場所から別の場所に移動するだけでも充分挑戦する価値があった。
最初のマイクロコンピュータでプログラムを動かす場合にも、同じことが言える。 マシンはしょっちゅう故障したが、故障は歓迎されることさえあった。
故障すれば友達に自慢できるのだ。 マイクロコンピュータを使って実際の仕事をしようなどとは、誰も考えな簡単に操縦できる飛行機、簡単に運転できる自動車、そして簡単にプログラムできて簡単に使えるコンピュータは、扱いにくいものに比べたらほとんどおもしろみがない。

技術的にどうであれ、扱いにくい代物をいかにうまく扱えるかでパイオーーアの評価が決まった。 コンピュータの世界では、自分のコンピュータの特異性に完璧に順応できるのが最高の人間だということを意味していた。
不可解なコンピュータ用語が生まれたり、「本物のプログラマ」がいまだに扱いやすいコンピュータやソフトウェアを軽蔑する理由も、こうしたパイオニアたちの事情がわかれば説明がつく。 彼らは、「扱いやすさ」を「チャレンジの欠如」と解釈したのだ。
しかし、扱いやすいコンピュータやソフトウェアを作るには、毛むくじゃらの原始人のような1970年代半ばの製品を作るよりはるかに優秀な技量が必要なのである。 当時のマイクロコンピュータは、ほとんど何もできなかった。
何をやるにしても、そこで出合う困難に打ち勝つこと自体が大きな挑戦になり得たのだ。 こうして、コンピュータとプログラムをとにかく動かせる人間が、そのまま最初のアプリケーション開発者になったのである。
いくつか例外はあるが、初期のマイクロコンピュータ用ソフトウェアはまだ存在していないソフトウェアを必要とする人間がいたから生まれた。

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